LNGを調達せよ LNGを調達せよ

PROLOGUE

2012年5月1日の早朝、まだ夜が明けきらない中城湾の水平線にうっすらと白く大きな船影が現れた。沖縄に初めて入港してきたLNG船である。4隻のタグボートを伴いながらゆっくりと近づいてくるその巨体を、中城湾を見渡せる丘の上からじっと見つめる男たちがいた。沖縄電力で燃料調達を専門とする「燃料室(現:燃料グループ)」のメンバーである。彼らは、この日を迎えるまでの自らの長い道のりを、目の前の船の航海に重ねて、感慨深く、静かにその着桟を見守っていた。

Chapter01LNGを調達せよ。

今から遡ること約20年前、安定的な経済成長を続ける沖縄県の電力需要を補うべく、沖縄電力では、これまで扱ったことのない燃料であるLNGを燃料とした発電所の建設が決定した。
「新発電所の燃料となるLNGLNGとは、Liquefied Natural Gas 液化天然ガスの略で、メタンを主成分とした天然ガスを冷却し液化した無色透明の液体です。天然ガスは約マイナス162℃という極低温まで冷却すると液体になり、気体の状態に比べて体積が約600分の1に減ります。この性質が天然ガスの大量輸送、貯蔵を可能にしています。を調達せよ」このシンプルかつ壮大なミッションがすぐに当時の燃料室メンバーに課された。

しかし、当時の彼らは当然LNGのことなど何も知らない。期待と不安と高揚感が交錯する複雑な気持ちの中、ゼロからすべて手探りでLNGを調達するという、長い長いチャレンジが始まった。

Chapter02沖電にLNG火力発電所は無理だ

沖縄電力がLNG火力発電所の建設を決定したとき、業界内ではその実現について疑問視する声も少なくなかった。中には、「沖縄電力がLNG火力発電所を建設するのは無理」と嘲笑する者もいた。確かに、多くの離島を抱え、発電用燃料を石油と石炭のみに頼ってきた地方の小さな電力会社にとって、海外から大型の専用船で直接調達することが一般的なLNGは、途方もなくハードルの高い挑戦なのは事実であった。

そのハードルとは、つまり石油や石炭と比べ契約の内容が大きく異なることであり、それはLNG特有の商慣行からくるものであった。その背景には、莫大なコストを要するLNGプロジェクト天然ガスを含むガス田が商業生産可能と判断された場合、実際の商業生産に向け、LNG生産の開発作業を行います。 具体的には、天然ガス生産・貯蔵・液化プラントや出荷設備の設計・建設、パイプライン敷設、生産井の掘削などを行います。これら開発作業および完成したプラント等の設備を一般的にLNGプロジェクトと呼びます。の開発は、買い主の購入が決定して初めてガスの掘削・生産が開始されるという、LNG開発固有の事情がある。以下の点が主に石油・石炭とは異なる点である。

【契約期間の長さ】
石油・石炭は年間契約または短期・スポット調達が一般的だが、LNGは契約期間が10~25年の超長期に亘ることが一般的である。
【交渉先の違い】
石油・石炭は買い主・売り主などのプレイヤーの数が多く、マーケットが形成されているため商社などを介して調達するのが一般的だが、LNGはプレイヤーの数が限られており、マーケットも限定的であることから、日本の電力会社・ガス会社は直接、海外の売り主と交渉して調達することも少なくない。当然、交渉や契約書はすべて英語である。
【契約の複雑さ】
売り主はガスの生産を買い主の購入意思により決定しているため、原則として買い主の長期的な購入量は固定的で柔軟性は少ない。また、不要な転売を避けるためLNG船は予め決められたLNG基地にしか仕向けられないという縛りがあることも多いという点でも他の燃料の契約とは大きく異なる。加えて、1回の購入だけで数十億円の金額が動く取引となるため、契約書は細部に至るまで詳細に定められる。

燃料室のメンバーは、LNGを調達するというゴールまでに幾つのハードルが待ち構えているのかも分からない状態であった。いや、そのハードル一つ一つの高さすら見えていなかった。しかし、彼らは「お客さまに安定的かつ経済的に電力を届ける」という電力マンとしての情熱を持って突き進んでいた。

Chapter03募る不安

百聞は一見にしかず。とりあえず、燃料室のメンバーはLNG船の視察に向かった。石油タンカーや石炭船は見慣れていたが、LNG船の大きさには圧倒された。全長約300m、全幅約50mで、球形のモス型タンクと呼ばれるタンクを複数搭載したその船は、サイズだけでいえば、戦時中の戦艦「大和」や「武蔵」をしのぐ大きさである。「こんなデカイ船を本当にうちが扱えるのだろうか…」そんな想いが駆け巡った。LNG船はその大きさだけではなく、-162℃のLNGを運ぶため最新鋭の技術が詰まっているため運用が難しい。もちろん、船の建造コストも高い。沖縄電力が専用船として使用している「津梁丸」サイズの大型石炭船の一般的な建造コストが30~50億円なのに対して、一般的なLNG船のコストは200億円を上回ることもある。現に、日本で引退したLNG船は海外で洋上LNGプラントとして再利用されることもあり、いわば人類の英知の結晶なのである。
知れば知るほど、不安と課題が募るLNG調達に燃料室のメンバーは想い悩んでいた。目の前にそびえるLNG船の巨体が、彼らの行く手を阻む大きな壁にさえ見えた。

Chapter04交渉の高い壁

一方、沖縄電力がLNG火力発電所を建設するという話は業界内に広まり、沢山のLNG売り主が沖縄電力を訪れた。彼らにとってもまた、LNGの売買というのは長期契約で大きな資金が動く一大ビジネスチャンスなのである。様々なLNG売り主とのミーティングを重ね、数ある世界中のLNGプロジェクトの中から埋蔵量や、産出国の政情リスク、LNG価格のトレンドなどを考慮して、オーストラリアのゴーゴンプロジェクトから購入することとし、LNG売り主と交渉を開始することにした。

しかし、交渉は想像していたよりもはるかに困難なものとなり、オーストラリア、シンガポール、東京、大阪、沖縄と国内外のあらゆるところで幾度も行われた。当然、交渉は英語で行われる。契約においては双方の解釈の違いは許されない事から、記載される内容は細部にわたり詳細を極めた。交渉が平行線になると何度も会議をブレイクして、本社と連絡をとりあったり、時にはテーブルを叩きながら主張したりすることもあった。特に、価格交渉は熾烈を極め、昼夜を問わず夜中まで会議は続いた。「Take it or Leave it(この価格をのむか、契約を無しにするか)」海外のLNG売り主は強気に出るが、我々も簡単には引き下がれなかった。会議がまとまらずに、ホテルに帰った海外のLNG売り主を追いかけ交渉を続けたこともあった。

契約書は優に100ページを超えている。しかし、今や会議に臨む交渉担当の目からは、戸惑いや不安の色は消え、ただひたすら沖縄のお客さまのためにLNGを届けるという情熱に突き動かされていた。気付けばもう誰も、沖縄電力のLNG火力発電所建設に疑問を抱く者はいなかった。

それから数か月後の某ホテルの調印式会場にて売り主と固く握手を交わす沖縄電力石嶺社長(当時)を見て、燃料室メンバーは、とうとうここまできたのだと感慨に耽り、LNG調達はすぐそこまで来ていることを実感した。

Chapter05沖縄初のLNG受け入れに向けて

LNGの調達は、契約だけではない。LNG船が沖縄に入ってくるための関係諸機関への対応、そして発電所の受け入れにあたっての作業手順の確認、社内でも燃料が増えることによる在庫管理方法や、会計整理などの大小の課題が山積していた。
例えば、沖縄初のLNG船の受け入れとあって、海上航行の安全性に関しては海事専門家による委員会を開催し受け入れ許可をとる必要があったし、直接、オーストラリアから入ってくるLNGに関しても輸入許可を得るために、何度も税関の担当官に説明対応を要した。
しかし、すでに幾多の交渉などを経験していた燃料室メンバーに迷いはなかった。社外からの問い合わせや、社内の疑問にもすべて自信を持って答えられるまでに成長していた。LNGの調達というゴールは近い。だれもがそう感じた。
15年以上前に始まった海図なき航海は、最終目的が見え始めていた。

EPILOGUEシステム改革を、自己変革に

話を冒頭のシーンに戻そう。燃料室のメンバー達が「LNGを調達せよ」の指令をうけてから幾多の障壁を乗り越え、沖縄初のLNG船が中城湾に入港してきた。彼らは桟橋に移動し、LNG船と桟橋をつなぐギャングウェイ乗下船用に船陸間をつなぐ、取り外し式通路のことです。を1歩1歩踏みしめながら乗船した。そして桟橋の4本のアーム桟橋側に設置される逆V字の形をした配管のこと。アームをLNG船に接続することで発電所へのLNG受け入れを行います。がLNG船と繋がりLNGの調達が完了する瞬間をじっと見つめていた。
そして現在、LNG船を受け入れる桟橋や甲板では、作業員達が手慣れた様子で作業を行っている。今ではLNGが石油代替の役割も果たすまでになり、受入量も増えた。それは、環境負荷の低減およびエネルギーセキュリティの向上もさることながら、燃料費の低減にもつながるものであり、LNGの導入目的を果たしたことを意味する。

加えて、今やLNGは沖縄電力が成長戦略として掲げる総合エネルギー事業の切り札として、つまりお客さまにお届けするガス供給事業などのサービスに欠くことの出来ない天然ガスの原料として、最も重要な燃料となるまでに成長した。燃料室のLNG調達メンバーも増え、約20年前にLNGの調達に乗り出した時、小舟のように感じられた燃料室のメンバー達は、すでにどんな荒波にも沈まない鋼鉄の船のごとく社内外から頼られる存在に成長していた。

ギリシャ神話に出てくる「テセウスの船」という話がある。テセウスがアテネの若者と共にクレタ島から帰還した船があった。アテネの人々はこれを後々の時代にも大切に保存していたが、朽ちた木材は徐々に新たな木材に置き換えられていき、やがて元の木材はすっかり無くなってしまった。ある者がそれに対して、「全部の部品が置き換えられたとき、その船が同じものと言えるのか?」という疑問を投げかけた。その問いに対し、哲学者ジョン・サールは「船という概念は機能についての概念であるため、船としての機能が時間的空間的に継続していれば、それが同一であるとするのに十分だ」と答えた。組織についても同じことが言えるだろう。時がたち組織のメンバーが変わっても、「お客さまに安定的にそして経済的に電気を届けたい」という電力マンのDNAをもって燃料の調達にあたったメンバーで構成された燃料室という名の「船」はテセウスの船と同様に、これから先も変わらないのである。

そして、彼らは今日も自らの業務に大きなやりがいを感じつつ、次なる展開に向け明日を見据えている。

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